この記事を読んで「なんじゃこりゃ!」と驚愕せずにはいられませんでした。
何より恐ろしいのは、この記事には「批判的ニュアンス」がいっさいないこと。
私はかなりヤバい話だと思っています。皆さんも一緒に考えてみて下さい。
半裸でトイレ掃除をさせる学校って・・
上の記事では学校名が示されていますが、ここでは批判的な内容を含みますので、現在通学している生徒さんや各関係者を考慮して校名は記述しないでおきます。
ネットで公式ホームページを見ますと、開校から約80年の伝統ある学校のようです。
「半裸トイレ掃除」については記事中で以下のように述べられています。
掃除の手順は、まず床を掃いた後、ぞうきんで床を拭き上げ、たわしを使って便器を磨き上げます。洗剤はいっさい使わないといいます。
そして、なんといっても特徴的なのは、上半身裸に裸足、素手でトイレ掃除を行うこと。要は短パン一丁です。そうしている理由として金田氏は「おそらく、戦前に始めた当初、服が汚れるのを防ぐ目的だったのでは」と語っています。原文まま
つまり、戦前から行われている手法をそのまま継続していると言うことですね。伝統のある学校が伝統を重んじるのは良い事ですが、単に過去を模倣するだけでなく、時代に合わせて修正を重ねて行くことも重要です。
特にこのトイレ掃除で問題になるのは「衛生面」です。洗剤を使わず、裸足・素手でトイレ掃除をするとは、時代錯誤も甚だしいと思います。家庭のトイレ掃除ならいざ知らず、多数の人間が利用するトイレで衛生面を無視した清掃作業を実施するのは非常に問題があると思います。「今までやってきて問題がなかったからOK」ではありません。
しかも「半裸」と言うのも問題です。水着着用でプール掃除を実施するのとは訳が違います。戦前は服を汚さないために半裸(ふんどし一丁?)で良かったでしょうが、今は時代が違います。作業着・長靴・ビニル手袋を着用してのトイレ掃除が常識的なのではないでしょうか?
それに「半裸」は衛生面のみならず「人権」を考えたときにも疑問が残ります。プールの授業ならともかく、トイレ掃除と言う行為に対して「半裸」を強制すると言うのは、人権侵害にあたらないか?と心配になりますが、皆さんはどう感じますか?
理念や教育方法は、時代とともに移り変わるものでは?
伝統は伝統でも、悪しき伝統なら改める必要があります。
また理念は素晴らしいとしても、具体的な教育手法は時代とともに変化させて然るべきではないでしょうか?
このトイレ掃除を通じた教育の背景にあるのは、〇〇学院が掲げている「Man For Others with Others」(他者のために、他者とともに生きる人間)という教育指針です。これには、「命は自分のためだけでない、弱者とともにあれ」という意味が込められています。
人の嫌がることを率先して行い、あらゆる場面で感謝や尊敬の念を抱く心を養う。なにか得なことがあるから行うのではなく、他者のために代償を求めずに行う。こうした〇〇学院の理念を身をもって学ぶことが、トイレ掃除の目的だというのです。原文まま(※学校名のみジオジオが改編)
少なくとも私には、上記の教育方針のために、生徒に「半裸でトイレ掃除」を強要する意味が分かりません。
(※やっぱり手袋しますよね)
生徒が半裸トイレ掃除を受け入れるプロセスが恐ろしい
生徒が「半裸トイレ掃除」を受け入れる過程についての記述を読んで、私は背筋に悪寒が走るのを感じました。
初めは嫌がる生徒に無理強いし、やがては自然に自主的に実施すると言う、そのプロセスに嫌悪感を感じます。
入学して間もない生徒の中には、半裸で行うトイレ掃除のスタイルに嫌悪感を示す生徒もいるそうです。しかし、「トイレ掃除をするうちに、それを普通のことと受け止めて、短時間できれいに掃除ができるように心も技術も研鑽されていく」(金田氏)のだそうです。また、トイレ掃除の際には上級生のリーダーが監督を行い、自主的に下級生を指導し、集団の規律を学ぶよい機会にもなっているといいます。
原文まま
「初めは嫌だけど、強制されるうちに普通のことと受け止める」
世間ではこれを「洗脳」と言います。
実際にこの学校に通っている生徒さんや、その御両親には申し訳ない言い方かもしれませんが、私は上記の文章を読み、「薄気味の悪さ」を感じてしまいました。
カルト教団と言っては大袈裟かもしれませんが、一般的な感覚とは著しいズレがあるように感じます。
また「上級生のリーダーが監督を~~」などを読むと、まるでブラック企業の管理職が部下にブラック労働を強いる姿が目に浮かびます。上記の文章をブラック企業で置き換えれば以下の様な雰囲気でしょうか。
「新入社員は深夜に及ぶサービス残業に嫌悪感を示していましたが、管理職の指導によって、やがて普通のことと受け入れ、仕事を覚えて社会人としても成長しています。」
ジオジオが独断と偏見でブラック企業風に翻訳
まとめ
私はトイレ掃除そのものを教育の一環として行うことに異論はありません。
人は生きている限り排泄はしますし、自分が汚したものを自分で掃除すると言う行為は大切な事です。逆にそのような「汚いもの」に触れることなく無菌状態で育てる方が問題だと感じます。
ただし「やり方」は考える必要があります。
私の母が幼い頃(戦後すぐ)は、シラミやノミ、蟯虫が当たり前だったと聞いています。つまり、この学校の「半裸トイレ掃除」が始まった当初は、その様な時代的背景もあるのです。
しかし戦後の国の努力により、日本は世界的に稀なくらいに衛生面でレベルの高い国になっています。時代は確実に前に進んでいる中、次代を担う子供に旧態依然とした手法で掃除を強いるのが、果たして教育と言えるのでしょうか?
集団の規律を学ぶためと言うのであれば、決して「半裸トイレ掃除」は必須条件ではありません。
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