成功者の言葉が「強者の論理」になるとき、その企業はブラック化の入り口に立っている
しばしば成功者による「強者の論理」が話題になることがあります。
成功者の言葉は、時には弱者に対して「気づき」を与える名言にもなれば、弱者に対する残酷な凶器にもなる。その言葉が「凶器」と認識された時に、「強者の論理」と言う印象を人々に植え付けます。
ではどのような時に、成功者の言葉が「強者の論理」になるのでしょうか?
「辞めればいい発言」が「強者の論理」になる理由
これは昨年の記事で、テレビ番組における井戸実氏*1のブラックバイトに対するコメントを取り上げたものです。
ブラックバイトに対し「そんなに酷ければ辞めちゃえばいいじゃん」と言う発言に対し、タレントの杉村太蔵さんや橋本マナミさんが反論。
するとここで杉村太蔵が声をあげ、「『辞めたければ辞めれば良い』とおしゃってますが、これは強者の理論なんですよ」と反論し、社会人経験のない学生は労働トラブルに遭っても適切に対処することは難しいのではないかと指摘した。
原文まま
「辞めればいい」とは、実は正論と言えば正論だと思うのです。心身を壊してしまった労働者に対し「なぜ、そこまでになる前に辞めなかったのか?」と思う人は沢山いると思います。
そう、「辞めればいい」は正論ではありますが、逆に考えてみると「誰でも思うこと」なのです。誰でも思うことを成功者が堂々と言ってしまっても、何の解決にもつながらないように感じます。
そもそも物事の事象を、もっと深く掘り下げて考えていれば、そんな発言は出てこないハズなのです。
世の中ではブラック労働の話題が後を絶たず、そのたびに「辞めなかった被害者」が登場します。世間では、井戸氏のように「辞めればいい」と言う意見が飛び交っているにも関わらず、辞められない人々がいるのが事実なのです。
「その背景には何かがあるのかも知れない」
その様な問題意識をもって解決策を探っていかなければ、ブラック労働問題は解決しません。
そう言った問題意識の欠如があるからこそ、彼の言葉は「強者の論理」に成り下がるのではないか?と思うのです。特に彼のような「雇う側」は、ブラック労働問題について熟慮しなければならない立場にあります。
なぜなら、自分の企業が知らず知らずのうちに「ブラック化」する可能性はゼロではなく、世間から「ブラック認定」されれば、企業の存亡の危機に関わる大きなリスクだからです。経営側の視点で見ても、ブラック労働問題の解決は非常に重要なのです。
そう考えれば、彼がこの時やるべきだったのは、「アルバイトの目線」に立ち、「辞められない背景には何があるのか?」を考える事だったのではないかと思います。
成功者が他者の目線に合わせることなく、熟慮なしに持論を述べるだけでは、それは「強者の論理」になってしまうのです。
「どの現場にもある」は危険なブラック思想の入り口だ
そして、以下のような発言が続きます。
さらに井戸氏は、厚労省の調査結果にある「採用時に合意した以上のシフトを入れられた」との トラブルを挙げ、「こんなのどの現場にもある」と断言。「僕のところはブラック企業じゃないですからね」と断りつつも、「何でもかんでも『ブラックだブ ラックだ』って言われちゃうと、正直現場はそんなこと言ってられない」と経営者の立場から意見を述べた。
原文まま
・こんなのどの現場にもある
「どの現場にもあることだから」と許されるのでしょうか?思考停止以外の何物でもありません。
・何でもかんでも~~そんなこと言ってられない
「現場でいちいち労働者の権利について考える余裕はない」と言うことと受け取れます。労働者の権利を守りつつ、経営を成り立たせるにはどうするか?を試行錯誤するのがマネジメントなのです。
この様な発言を聞けば「僕のところはブラックじゃない」は怪しいと感じてしまいます。
「どこでもやっている」「労基法を守ってたら経営できない」はブラック企業の常套句です。
成功者の思考停止は企業をブラックに堕とす
企業がブラック化する背景には何があるのか?を考えた時に、創業者(社長)の「成功体験」と「思考の硬直化」がカギになるのではないかと思えてなりません。
特に一代で会社を大きくした成功者は、成功したが故に、自分のこれまでの行動を肯定することになります。自分のやった事1つ1つを検証することなく、「成功した」と言う唯一の結果を拠り所に「自分のこれまでの行動」の全てを何の根拠もなしに肯定してしまう。
もちろん、成功者の全てがこうなるとは思いませんが、この罠に陥ってしまう成功者が少なからずおり、その様な人は高確率で「ブラック化」すると考えられます。
なぜなら自分の成功体験を無条件に肯定してしまうため、それを従業員に押し付けてしまうからです。端的に言えば「頑張ったから成功した」のだから「君たちも頑張りなさい」となるのです。
しかし実際には「頑張ったから成功した」のではなく、「成功した人が頑張っていた」だけのことなのです。原因と結果を取り違えてはなりません。
成功の背景には様々な要因が複雑に絡み合っており、運も多少はあるでしょう。結果として成功したのであって、頑張ったから成功したわけではないのです。
これについては、秀逸な図があるので紹介します↓
https://pbs.twimg.com/media/CqIuV7fUkAAnsBC.jpg:largeより
まとめ
人は誰しも「成功」に憧れ、成功者の言葉に耳を傾けます。
しかし成功者が自分の成功体験に固執して柔軟な思考を喪失し、弱者目線に立てなくなった時に、その言葉は「強者の論理」になってしまうのでしょう。
また成功者が自分の成功体験を絶対視し始めた時に、その企業はブラック化の入り口に立っているのかも知れません。社会は変化するものであり、企業を取り巻く環境も変わっていきます。
いつまでも過去の成功体験に縛られることなく「若者の言葉を柔軟に受け止められる器」が現代の日本に求められるのだと思います。
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