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日本人の苦労信仰の原点とは? 苦労と経験をはき違えることの愚かさ

ブラック企業にブラックバイト、最近の日本社会では「ブラック労働」に関する話題は事欠きませんが、その背景にはいったい何があるのでしょうか?

一説によれば、日本人は「苦労を信仰している民族」だと言う。確かにそれは一理あるかと思います。「苦労人」は賛美されますし、成功者よりも「苦労が報われなかった人」を英雄視する風潮もあると思います。

 

日本人の苦労信仰の原点は戦時中にあるのか?

この記事は太平洋戦争中の日本をアメリカが国内PR用に作成した映像に関するものです。ここでは「戦時中の苦役に耐える日本人の姿」「ブラック労働に耐える現代日本人の姿」が良く重なると言っています。

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上の記事で書いてあるように、苦労信仰のルーツは戦時中にあるのでしょうかね?

「小作の重労働、貧しい食事、高い小作料は他に例がない」
「個人の幸福は問題ではなく 苦痛こそ神聖のようだ」  原文まま

 

「週6日、48時間働いて高給もとってはいない
週72時間低賃金で働きたいてい40歳で結核で死ぬ
なぜ日本人は悲惨な運命を黙って受け入れられるのか
なぜ労働組合を作らないのか
聖なる戦いを遂行している信念を持っているからだ」  原文まま

 

 「個人の幸福は問題ではなく 苦痛こそ神聖のようだ」「聖なる戦いを遂行している信念を持っているからだ」とは、当時のアメリカが日本人の姿を見て得た、1つの「解釈」でしかありません。苦役を黙って受け入れる国民性に対して、アメリカ人が「そうに違いない」と考えるしかなかったと言う見方もできます。

確かに当時の日本を考えると小作人の苦しい重労働」「紡績工場で重労働の結果、結核で亡くなる」は真実ではあったでしょう。でもそれは国のために耐えたと言うより、家族のために耐えたが正解ではないでしょうか?

 

歴史を振り返ってみると・・・

これまで私は農民の方々に対して、ずっと昔から貧しくて苦しい生活を送っていると言うイメージでした。しかし色々と調べてみると、少なくとも江戸時代まではそこまで貧しい生活ではなかったようなのです。

時には不作や疫病で大飢饉になることはあったとしても、それ以外では、私たちが思っているほどの貧しさはなかったようなのです。

ただ気になるのは、江戸時代あたりから農村で行われた村八分「五人組」は日本人のブラックなメンタリティーをつくった一因だと思えてなりません。

村八分:多くの事が村人で共同して行われる中、勝手を行った世帯を仲間はずれにする制度。ただし誰かが亡くなった時の葬儀や火事は放置すれば周囲に迷惑が及んだため、それらについては協力した。

「勝手を行った」と言っても、法律違反等に限らず、当時の有力者の意向がかなり強かったらしく、言い掛かりや濡れ衣で村八分にされるケースもあったそうな。

〇五人組:5人(5世帯)1組で連帯責任を負わせる制度。1人が年貢を納められないと、残りの4人が代わりに納めなければならないなど不利益を被るため、相互監視が強まった。

現代日本の周囲の顔色を窺って同調することを好む傾向は、ここから生まれたのか?と感じてしまいます。「定時になっても先輩が帰らないから帰れない」などなど。

しかし以上の2つの制度は「苦労信仰」とは直接関係なさそうです。そうなるとやはり、明治以降の富国強兵政策により農家をはじめとする一般市民が苦労を強いられたことが原因なのかも知れません。

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この記事では、旧日本軍とブラック企業の類似点が指摘されています。当時の兵士が「我慢するしかなかった」状況であったことから、一般市民も同様であったと考えられます。

 

苦労と経験を履き違えている人が多い

そして現代では、この「苦労に耐えてきた国民性」をベースにして、苦労すれば成長すると言う「苦労信仰」が生まれたと考えられます。

苦労が当たり前であった大部分の日本人にとって、苦労しない事は「妬み」の対象であった。それが「苦労していない人間は認めない」と言う風潮を生み出し、「苦労しないと一人前になれない」「苦労することで人は成長する」となったのではないか?と思います。

苦労はあくまでも結果の1つに過ぎず、大切なのは「挑戦して乗り越えた事」にあります。

若くて経験が乏しい中で、いきなり難しい事に挑戦すれば、そりゃ苦労しますよ。その中で成長に寄与したものは苦労ではありません。その人の成長に寄与した本当の要因は、難しい事から逃げずに挑み、成し遂げたことによって得られた経験値や自信です。苦労は単なる副産物に過ぎません。

にも関わらず、苦労そのものを成長するための絶対条件だと誤解してしまっているのが、現代日本人の「苦労信仰」なのです。

それもこれも「成長すること」が何にも代えがたい大切な事であることが前提ですが、私はそうとも思わないのですよね。

そもそも、人間て成長しなければならないものなの?と言う疑問もあるのですよ。

人間である以上、社会の中で生きていかねばならず、最低限のルールを守れるくらいの良識を持つ程度には成長した方が良いのは間違いありません。

しかし一番大切なのは、他者を尊重してお互いに助け合う事。これが出来れば最低限、人として立派なのではないかと思うのです。

では子供のうちから楽して良いのか?と言うと、それは違うと思います。ではやはり苦労させる?と言うとそうでもない。

私の考えでは、社会で生きていくための最低限として「世の中は自分の思い通りになるとは限らない」ことを理解するため「ある程度の我慢を知る事」が大切ではないかと思います。

でも我慢しすぎれば身体を壊したり、最悪死に至るので、その加減は難しいのですが・・・。

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人間は苦労しないために文明を発展させた

そもそも原点を考えると、人間は苦労を軽減させるために文明を発展させてきましたよね?

そんなに苦労が大切で、若者に「買ってでも苦労しろ!」と言うのなら、まず自分が車に乗らず、ガスも電気も水道も電子レンジも冷蔵庫も使わず、自給自足の生活をしてみなさい!と言いたいですね。

そう言われると「イヤ、そんな無駄な苦労ではなくて・・・」と言われそうです。

でも、その仕事、本当に無駄ではないの?と思う事も多々あります。

仕事と言うものは利益を生み出すのが一番の目的ですから、その仕事を遂行する際に無駄なコストを発生させないのが最重要課題です。

すなわち無理に苦労することなく終わらせるのが本来の姿です。ですので若者にブラックな労働を強いて苦労させるのは無駄以外の何物でもありません。

それよりも知恵を絞って苦労しないで終わらせることの方が、よっぽど社会人として成長できますし、企業にとっても良いハズなのです。

実際に人間の文明というものは、苦労を回避する工夫を重ねることで発展してきたのです。

「苦労することで成長する」と誤解して、苦労を目的化するあまりに創意工夫を忘れた結果として、現代日本の低い生産性が生み出されたのではないでしょうか?

これからの日本に必要なのは苦労を回避するための創意工夫」なのです!

 

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