【熊本地震】「ボランティア不足」について
熊本の地震に関しては、全国ニュースでは多少落ち着いてきた雰囲気はありますが、まだまだ復興までの道のりは遠く、未だ日常に戻れない被災者は数多くいらっしゃいます。
その様な中、以下の記事が目に留まりました。
熊本地震に際してボランティア不足…というか「圧倒的に足りない」というこの記事を読み、違和感を感じたので筆をとった次第です。
はじめにお断りしておきますが、私は決してボランティアを否定する訳ではありません。災害時の労働&ボランティアの考えについては以前も書いてますので、併せて読んでみて下さい。
ボランティアの数が激減
記事によれば、「大型連休を終えてボランティアの数が激減」とあります。
そして、「地震から1か月を前に深刻な人手不足に陥っている」ということだそう。
なんでも、「5月4日がピークで1200人超えた」けど、「9日には368人まで減少した」のだそうです・・・。
・・・・・・・・っていうか、
それ、当たり前じゃないんですかね???
だって、「連休だから」みんなボランティアに駆け付けてくれたのでしょう?
災害が無ければ、普通に家族旅行とかに行ったかも知れない人たちが、旅行ではなく、ボランティアをしてくれたのですよ。
私は、それだけでも十分に素晴らしいと感じています。
だけども、連休が終わってボランティアが減ったことに対して嘆くっておかしくないですか?????
その考えって「ボランティアありき」って思われてもしょうがないですよね?
そのような現状に対して、この記事では
「被災者のニーズに十分に応えられない状況だ。」
だそうです。
・・・ここで、またまた違和感。
「被災者のニーズ」って何のこと?
そして、それに答えられないからと言って、
「もっとボランティア来て下さい」って、どうなの???
と、何が何やら、何とも憤りの気持ちが込み上げてきました・・・(- -;
(スミマセン・・・少々感情的になってます・・・・。)
私も東日本大震災の被災者(軽度ですが)の1人として、被災者が非常に大変な事、ボランティアの方々の助けが非常に「有難い」と言う事も理解しているつもりです。
ですが、被災者が色々と大変で、第三者に助けて欲しい事を「ニーズ」という表現とするのは、いかがなものかと思います。「消費者のニーズ」と同じように軽いものに聞こえます。
「あると便利な商品」とは違います。
「生きるために必要なもの」なのです!!
そうなると、「被災者のニーズ」に答えるために「ボランティアの数が足りない」という「市役所職員」も軽く感じてしまいます。
でも、本当はそうではないハズです・・・・・。
何か、記事全体の雰囲気がおかしくないですか???
私の考え過ぎなのでしょうか?・・・^^;
この記事を読む限り、被災者と市役所職員の本当の心情が表れていないようで、非常に違和感があります。
すみません、話が反れてしまったので、もう1度確認しましょう。
ボランティアの意味を。
↓
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ボランティア(英: volunteer)とは、自らの意志により参加した志願兵のこと。長じて、自主的に社会活動などに参加し、奉仕活動をする人のこと。また、奉仕活動そのものを指すこともある。
ウィキペディアより
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確かに、被災者の方々は毎日、非常に大変な思いをされていることと思います。
そして、自らも被災者でありながら、職務を全うしている公務員の方々にも頭が下がります。
でも、あなたたち被災者を助ける人たちは
「ボランティアではない」(※広義の意味で)
ということを、そろそろ、日本国民全員が気づくべきではないでしょうか?
もっと考えましょうよ。
既に、ゴールデンウィークでは、1000人を超えるボランティアが集まったんですよ。
私は、これは素晴らしいことだと思います。
熊本に最も近い大都市の福岡は陸続きですが、
九州外の主要都市は、全て「海を越える移動」です。
高速道路や新幹線が整備されているとはいえ、やはり移動は大変です。
人口規模も考えましょう。
関東から東北へ行くのとは、背景となる潜在的な人口規模が異なります。
私は、連休中のボランティアが1000人を超えただけでも
日本と言う国は、十分、素晴らしいと思います。
だって、無償労働なんですよ!!!
それに対し、「足りないので、もっと来てくれ」だなんて・・・。
う~ん・・・・・・。
色々と考えてしまうのですが、
やはり日本人は、デフォルトが「良い人」なのでしょう。
だけども、逆に、こういう時に
『良い人が普通→親切心が当たり前→互いの善意の多寡を論じ合うようになる→「善意」に対して足を引っ張り合う』という、
残念な国民性になってしまっているとも感じてしまいます。
もしかしたら、外国なら「1000人」ですら、ボランティアは集まらないかも知れませんよ???
だけども、「一億総良い人」の日本人は、いつしか「それが当たり前」になり、
「それ以上」を求めるようになってませんか?
その結果、せっかく、みんな1人1人が「小さな真心」を届ける中、
いつしか真心が「当たり前」になり、その大きさについて論じ始める・・・
その結果、本来はみんな同じ「善意」だったハズなのに
「あいつの真心は小さくね?ケチだよな?」みたいな論調になってませんか?
常総市の水害に際しての市職員の「残業代貰いすぎ!」の考えに通じてしまいそうで
私は「物凄くイヤ~な感じ」になりました。
どうも今の日本は、災害時にボランティアに頼り過ぎているように感じます。
ここ数十年で大きな災害が頻発しています。
そろそろ、公的に政府で対応するような組織体系について議論するべきではないでしょうか???
もしくは、「純粋なボランティア」ではなくとも、寄付金やコマーシャル等を資金源とするような「支援団体」も、そろそろ創設するのが良いのでは?(一部、あるようです)↓
非常に素晴らしい。応援します!
災害時のボランティアは非常に素晴らしい行為です。
しかし今後、色々と考えてより良い方向について、みんなで考えて行きたいと思いますね。