人間の価値は「仕事」で決まるのか? ~「仕事を通して成長する」を自己実現理論で考える~
いろいろなブログを読んでみると、やはり「一生懸命仕事に打ち込むこと」を賛美している人を見かけます。
イヤ、私も一生懸命仕事をすることそのものは、特段悪いとは思いません。それがブラック経営者に搾取されることなく、正当なかたちで本人にフィードバックされるのであれば、それで良いでしょう。
ただ1つ気になるのは、そういった「一生懸命仕事をすることを賛美する人達」が、一方で「遊んでばかりいる人」を良く思わない傾向があることです。
私たちは幼いころから「アリとキリギリス」のような絵本をとおして、
働くこと=偉い
遊ぶこと=怠け者
的な価値観を植え付けられてしまっていますが、それって本当なのでしょうかね?
人間は成長しなければならないって本当?
一生懸命仕事に打ち込む人が、その行動の良いところをあげるとすると、まず言われるのが「人間として成長できる」と言います。
確かに仕事をとおして色々な困難を乗り越えたり、様々な価値観と巡り合うことで、人間として成長できるというのは、その通りだと思います。
ただ私は、人間として成長するにあたり、何も仕事を通さなくとも良いのではないか?と思うのです。子育てや、友人関係の中でも成長できる要素はいくらでもあります。
それと、そもそも人間は成長しなくてはならないものなのでしょうか?もちろん、大人になっても子供みたいな事ばかり言っていたら困りますが、社会生活を正常に送れる程度の一定のレベルまで成長できれば、それで良いのではないか?と思うのです。
それ以上成長したいか、どのようなかたちに成長したいかは、個人個人の価値観によるのではないでしょうか。
自己実現理論で人間の成長を考える
自己実現理論とは、アメリカの心理学者であるアブラハム・マズローが提唱した理論であり、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生き物である」と仮定して、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものです。自己実現理論 - Wikipedia
参考までに欲求の5段階の階層を引用します。
①生理的欲求
食事や睡眠など、生命維持のための本能的な欲求。
②安全の欲求
身の安全はもちろん、経済的な安定などに対する欲求。安心を得たいという欲求と考えればしっくりします。
③社会欲求と愛の欲求
自分自身が社会的に認められていること、他者から愛されていることへの欲求。
④承認(尊重)の欲求
自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求。
他者からの尊重だけでなく、努力して何かを身に着けることで自己尊重感を得、自立性を得ることが重要。
⑤自己実現の欲求
自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求。
私はこれまで、自己実現=アイデンティティーと誤解していましたが、アイデンティティーはどちらかと言うと「承認欲求の自己尊重感」が近いのかも知れません。
この自己実現理論は、必ずしも専門家の間で正しいとは考えられていないようで、「実証」や「理論構造」に対する批判もあるようです。
私も人間の「価値観と生き方」を考えたときに、必ずしも上記の5段階にしたがって成長する必要はないのではないかと思うのです。
「足ることを知る」ことがなければ、人間の欲望は果てしのないものです。果てしなく欲望を追求した先に、本当に幸せはやって来るのでしょうか?
自己実現欲求が日本社会を歪めている?
一生懸命仕事に打ち込み、若くして会社を立ち上げて大きくしたような人は、「自己実現」を達成した 人と言えるでしょう。
しかし、その様な自己実現が可能な人は一握りだと思います。
私がメディアで見聞きするブラック企業で問題だと感じたのが「自己実現」を達成できた社長が、自らの成功体験をそのまま従業員へ押し付け、「自己実現」をエサに過重労働を強いたという図式です。
現代社会では情報が氾濫していて、上には上がいることを散々思い知らされます。自己実現のための目標を掲げたら、それこそ天井知らずです。昔は「村一番の力持ち」で十分に自己実現を果たせたのが、今や「村一番の力持ち」で満足できる人はいないでしょう。
マズローの自己実現理論では、より下位の欲求から積み重ねて、最終的に「自己実現欲求」に至るとされていますが、現実にはそうではないように思います。
見果てぬ自己実現を求めるあまり、身近な欲求が満たされないことで、歪みが出ていると感じるのは私だけでしょうか?
承認欲求、あるいは自己実現のために一生懸命仕事に没頭することで、奥さんとのコミュニケーションが疎かになったり、子供に「おじさん誰?」と言われたり・・。
より上位の欲求を無理に追及するあまり、人間として基本的な「愛の欲求」が疎かになってしまっては本末転倒です。
私の友人の上司が「自分がどんなに仕事を愛しても、仕事は自分を愛してはくれない」と言っていたそうです。まさに名言だと思いました。
どんなに一生懸命仕事をしたって、自分の最後を看取ってくれるのは、家族・親戚・友人です。会社でも仕事でもありません。
人間の価値は仕事では決まらない
もちろん、仕事で得られるステータスだってありますし、その全てを否定するつもりはありません。ただ人間の価値観は千差万別ですし、結局のところ、基本的な欲求が満たされなければ、喪失感だけが残るのではないでしょうか。
仕事は最低限、給料分の責任を果たせば、あとは家族を大切にし、友人と遊んだって良いではありませんか。そういう人生だって有意義なものだと思います。
例えば、趣味で始めたボルダリングでかけがえのない仲間ができたり、家族とのコミュニケーションの機会になったり、もしかしたらインストラクターとして成功するかも知れませんし・・・。人間何があるか分からない。どこにどのような成功があるのか?それぞれの人生の中で自然に決まっていくことなのではないかと思います。
「一生懸命仕事して成長し、仕事で成功して認められる事」が唯一の自己実現方法だとする考えは、ともすると日本社会を歪める危険性があるのではないか?と思わずにはいられない今日この頃です。
それと、最後に言わせてください。「自己実現」をエサにして過重労働を強いるブラック経営者にはくれぐれも引っかからないように!自分の身を守るのは自分自身なのです。
以上です。最後まで読んで頂いてありがとうございます。
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