「災害時にも女性が働き続けられる仕組みを」を読んで、人間にとっての仕事を考える
非常に考えさせられる記事を読みました。
東日本大震災や熊本地震の事例から、問題提起がなされています。
医療従事者も被災する
これは当たり前のことだと言えばそれまでですが、大きな災害が起こった時には、かなり重要な事です。
この記事は「東日本大震災で受けた恩を何とかして返したい」との思いで、震災が発生した熊本の病院を支援した「ときわ会常磐病院(福島県いわき市)」の院長さんの話から始まります。
災害によって病院には患者が殺到するのに、医療従事者も被災して人手が減る。そしてさらに、以下のような問題も発生するそうです。
さらに問題なのは、保育所が閉鎖することだ。熊本市内では236施設の保育所のうち、10施設が休園。園児1291人が普段通っている施設に通園できなかった(5月2日現在)。彼らの面倒を誰かがみなければならない。多くは母親だ。女医や看護師のこともある。
実は、東日本大震災では、このことが大きな問題となった。福島第一原発から23kmにある南相馬市立総合病院には、震災前164人の看護師が勤務していたが、震災後に残ったのは84人だ。
大災害が起こると、自宅が壊れ、避難を余儀なくされる。保育所や学校も閉鎖される。夫は仕事を続け、母親が家族の面倒を見ることが多い。大災害が起こると女性は働けなくなる。大勢の女性が勤務する病院は災害に弱い。ところが、このことは、あまり議論されてこなかった。
災害時に病院が機能しなくなるのは、確かに重要な問題です。
ただ、もう少し踏み込んで考えてみましょう。
この記事で言うように「大災害が起こると女性は働けなくなる」のは事実だとは思います。災害が大きければ大きいほど、男女関係なくみんな働けなくなりますが、どちらかと言うと女性の方が働けなくなるのであれば、環境を改善する努力が必要だと思います。ただしそれは、災害時に関わらず通常時にも言えることでしょう。
そしてもう1つ気になるのは、上の記事が「医療機関の機能を維持したい」と言う目的が先にあるように感じる事です。
決して「女性が働きやすい環境」を考えている訳ではなく、「災害でも女性を働かせる方法」を考えているように思えてなりません。著者本人も、おそらく自覚していないでしょう。もちろん私の考え過ぎかも知れません。
大災害が発生して被災すれば、しばらく通常の生活は送れませんし、男女を問わず働けなくなります。私はそれは当然の事ではないのか?と思うのです。
また「働けなくなる」と言う言葉が気になります。この言い方には「我々人間は働くことが目的」と言う考えが大前提にある という思想が見えるように感じます。
私も東日本大震災を経験したので分かりますが、あんな大災害が起こったら、普通は働けません!と言うか、そこまでして働かなければならないのでしょうか?
大災害にあって、まず考えることは
①自分が生き残る事
②家族の安否の確認
③当面の生活をどうするか?
④今日、明日食べるものをどうするか?
⑤生活を再建させるにはどうするか?
なのです。仕事は二の次です。
この時ほど「人間は食べる(生きる)ために仕事をするのであって、仕事そのものは目的ではない」と痛感したことはありません。
「災害時にも働ける仕組みづくり」は新たなブラックを生み出さないか?
そしてこの記事では、災害時の首都圏の医療機関のマヒに警鐘をならしています。
首都圏の災害対策は早急に見直すべきだ。災害時にも、女性が働き続けることができるような配慮が必要だ。具体的には、院内託児所、保育所を整備すべきだ。
院内託児所、保育所を整備することそのものには、私は賛成します。しかしこれによって「災害でも働ける」環境をつくることにより「新たなブラックが生み出される事」が危惧されます。
常総市の市役所職員に投げかけられた市民の「暴言」から、容易に予想できます。
多額の税金を投入して労働環境を整備して「災害でも働ける環境」をつくってしまえば、以下のようなブラックなメンタリティーが形成されることは目に見えています。
・被災しても働くのは当然の義務だ
・税金で託児所がつくられたのに、働かないのは無責任だ
・医療従事者なのだから、被災して家族に何かが起こっても、働き続けるのは当然だ
・災害でも医療従事者が働けるためにつくった施設なのに、保育士が被災したからと言って働かないなんて言語道断だ
全員ではないにせよ、このような意見が多く出ると予想できます。
何より「本当は働けない状況だけど、働かざるを得ない雰囲気」が形成されてしまう事が心配です。
自らが被災してしまったら、働くか働かないかの選択は、あくまで本人の意思によるものでなくてはなりません。
「医療従事者としての使命感があるから働きたい!」と言う人は、それはそれで良いでしょう。ただその様な考えは全ての人達に押し付けられることではありません。
多くの人達が生活のために働いている以上、被災して、その生活そのものが正常にならないのであれば、働く意味がなくなるのです。働く意味が無い以上、働かない選択をするのも自由です。
災害時でも働けるしくみをつくることそのものは、確かに大切かもしれません。ですが、そのことにより、当人の選択の自由が脅かされるのであれば、本末転倒だと思います。
「災害時でも医療機関の機能を維持する」のが最優先の課題であるなら、そのための解決策は「女性が働き続けられるしくみづくり」が第一ではないと思います。
どんな職業であっても被災者が救済されるのが第一であり、そう考えれば「外部からの支援の拡充」が、まずなされるべき事ではないでしょうか?
おわりに
震災当時、私の従姉妹は保育士でした。震災によって交通機関はマヒし、園児の親はなかなか迎えに来れません。当然のように、職場にとどまることを余儀なくされました。
家族の安否が心配な中、保育士であることを優先しました。
夜の10時くらいにようやく仕事を終えて、家族の安否確認に家へたどり着くと周辺の道路は亀裂でガタガタ、家もメチャクチャ・・・。
そして玄関先に置いてあった「小学校にいます」という書き置きを見つけます。そして避難所で、ようやく祖母と母親の無事を確認しました。地震発生から8時間以上が経過していました。
結果として、無事だから良かったことですが、もし家族が瓦礫の下敷きになっていて助けを求めていたとしたら、早く帰らなかったことを後悔したかも知れません。
災害時の対応として大切なのは、「被災者の命をまもり、生活を支援すること」です。
「働き続けられる仕組みをつくる」ことは決して悪い事ではありませんが、それによって「被災しても働くのは当然」という新たなブラック思想を生み出すもとになりかねません。
第一は「外部からの速やかな支援を実現するしくみづくり」ではないかと切に思います。
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